信州松本浅間温泉バリアフリーの宿 ホテル玉の湯(玉之湯)

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信州そば切りの店 認定のお店

ホテル玉之湯の自慢の手打ちそば。
館主が毎日打つそばは、八ヶ岳山麓産、上伊那郡辰野町産、南佐久郡川上村産のオリジナルブレンド、信州産100%のそば粉を使用しています。水はこだわりの安曇野の天然水を使用。 そばの香り豊かな、舌触りの良い滑らかなそばを是非ご賞味下さい。

ご夕食の他に、当館北隣「そば処 玉結」でもお召し上がりいただけます。

信州産のそば粉で手打ち、これが本来の信州そば。玉之湯は「信州そば切りの店」に認定されております。

信州そば切りの店 認定のお店

館主のそば切りへのこだわり

「そば粉」にこだわりました。

「そば粉」にこだわりました。

そば粉は八ヶ岳山麓産、上伊那郡辰野町産、南佐久郡川上村産のオリジナルブレ ンド。
そばの美味しさはそば粉で決まります。そば屋のこだわりはそば粉のこだわり。
何千種類もの個性的なそば粉の中からたどり着いた絶妙なブレンドが生み出す食感は
一度味わったら忘れえぬものとなりましょう。

「水」にこだわりました。

「水」にこだわりました。

信州は北アルプスの雪解けの水など、水源が豊富。ミネラルたっぷりの美味しい水が自慢です。
そば打ちにもこだわりの「安曇野の天然水」を使用しています。
打ち上がったそばの半分は水です。いくらそば粉が良くても水も良くなければそば、
そばの美味しさを引き出すことはできません。

「だし」にこだわりました。

「だし」にこだわりました。

だしの原料の素材にもこだわります。玉之湯のそばつゆは、かえしは地元特選醤 油「金泉東」を使い、
鰹節、鯖節、宗田節で手間隙惜しまず丹念に心を込めて、蕎麦に良く馴染む、
まろやかな香り高いつゆを造り上げています。



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信州そば切り認定のお店

ホテル玉之湯は「信州そば切りの店」認定のお店です。動画では館主のそば打ちの様子をご覧いただけます。

食味審査に合格し、右記の条件を満たしたそば店だけに与えられる看板です。正真正銘の信州そばの証。三 全工程が手作業による手打ち。二 つなぎの割合は30%以下。一 そば粉は長野県産のそば粉のみを使用。「信州そば切りの店」認定
信州そば切り認定のお店

『信州そば切りの店』とは・・・

信州そばにこだわりを持つお客様に対し、正真正銘のそばを食べて頂こうと、2008年に「信州そば切りの会」を発足し、長野県産のそば粉を使う『信州そば切り』の認定と普及の ため、独自の活動を展開してまいりました。
「信州そば切り」の定義とは、そば粉は長野県産のみ、つなぎの割合は30%以下、全工程が手作業で作られたそばのことです。その「信州そば切り」を、提供しているお店で、なお且つ3名の食味審査員による厳しい審査を受け、合格 したお店のみが認定され、『信州そば切りの店』の認定看板を掲げることが出来ます。
認定店は2年目以降も食味審査を受け、これらの条件をクリアしたお店だけが更新を許されています。また、2010年7月には、「長野県産そば粉を使用した手打そばの品質に関する認証」として出願していた『信州そば切り』の認定看板が商標登録されました。
この看板を目印に、お店に足を運んで頂き、信州そばを味わっていただけましたら幸いです。

信州そば豆知識

歴史が語る信州そばの価値

歴史が語る信州そばの価値

①天正二年(1574)木曽群大桑村の定勝寺が仏殿の修理を行った際に、落成祝いに寄進された品物の記録の中に『振舞ソハキリ 金永』の記述が発見されたことから、すでにその頃には現在のそば切りが食されていたことが分かります。
②正保二年(1645)に刊行された俳諧書『毛吹草』(けふきぐさ)に『そば切りは信濃国の名物。当国よりはじまる』との記述があるように、江戸時代初期にはすでに信州の名物として、江戸を中心にその名を馳せていたことが分かります。
③宝永三年(1706)に松尾芭蕉十哲の一人、森下許六が出版した『本朝文選』の中で、許六の弟の雲鈴が『そば切りといっぱ(というのは)、もと信濃ノ国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける』と書いています。
※このように昔はそば切りと言われ、信州そばの原点です。『信州そば切り』の名前の由来はここに求めたものです。

全国の有名なそば処のルーツは信州

全国の有名なそば処のルーツは信州

出雲そばは、寛永十五年(1638)松平直政が松本藩から松江藩へ、会津高遠そばは、寛永二十年(1643)保科正之が高遠藩から会津藩へ、出石そばは、宝永三年(1706)仙石政明が上田藩から出石藩へそれぞれ転封された時に伝わったとされています。

先人達の命をつないだそば

先人達の命をつないだそば

『そば自慢はお里が知れる』と揶揄して言われることがあるように、山間地の多い信州では、米や小麦など主食になるような作物を栽培するのに適した土地が少なかった地域において、干ばつに強く、あまり肥沃ではなくても育ち、しかも栄養価に優れたそばは栽培することで、人々は飢えに備え、生きていくことが出来たのです。

『信州そば』と呼ばれ、日本中で有名になったのは、上記の様な史実と背景があったからなのです。
『信州そば』は正に信州の歴史と風土が生んだ美味遺産といえるのではないのでしょうか。



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